anoxia

北鎌倉、極楽寺、銀座、足利

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迎合・忖度ではなく、その空間の波動が淀まぬようにすることを行動の前提の一つにする。然るべき所作を理解し実行することが大事です。調和させる、ではなく、調和の内部にお邪魔するということで、それを実現するためには愛がないと絶対にできません。また、その想いが込められた行為が鎮魂です。魂なんて目に見えず具体的にこれと示すことができないと思うのならば、目が見ることのできるすべての物事を見ることから始めてみてください。目に見えるものも目に見えないものも本質は同じです。世界に存在する個体であるということ。存在には根と羽根があります。根は存在の根源から伸びるもの、羽根は存在の遠い場所に飛び立ちたいという願いです。根と羽根はどんな存在もある同じ空間で出会い、絡まり合っていて、その空間では存在の各個体に違いはありません。では、各個体に違いがあるように見える現世の一つの個体でありながら、その空間に想いを馳せることはできないのでしょうか。(ちなみに、自分はその空間を座標と呼んでいます。元ネタわかりますか?)
そう考えてみると、鎮魂とは存在と座標との接触を試みることだとも言えます。もちろんこれは見方の一つにすぎません。ただ、このように考えるとやるべきことが明確になります。自分が鎮魂をどうしても求めてしまう限り、それは永遠に続きます。