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11/2〜11/8 10周年記念企画展 −306−

「10周年記念企画展 −306−」
2020年 11月 2日 (月) – 11月 8日(土)  
13 : 00 – 19 : 00 (最終日 9 : 30 – 17 : 00)

中央区まるごとミュージアム参加イベント メンバー全員による大展覧会
◼︎ 参 加 ◼︎
石川信行 大西みつぐ 奥野景子 奥野亜男 押田美保 小野寺純乃 
加藤裕士 貴石堂摩耶 清武愛流 黑多弘文 今道子 斎藤もと
すがわらたかみ 髙橋淳子 高橋淳平 田口賢治 田島木綿 西田省吾 
西松典宏 野口多嘉子 野村とし子 野村秀樹 馬場薫子 比留間雅人 
福家由美子 藤井紀子 藤田浩司 藤原成章 松田ふみ子 森谷謙一郎

中央区まるごとミュージアム当日(11月8日)は、開閉室時間が異なります。ご注意下さい。

 

@銀座 奥野ビル306号室

https://room306project.tokyo

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ある種の気配がある。 この先の領域はこれまでとは断絶されており恐怖・不安・ 得体の知れなさを感じて心許ないのだが、なぜか不快ではない。 それどころか快さまで感じてしまうし、 もう戻ってこれなくてもいいかなとまで思ってしまう。 自分には認識すら不可能な巨大な何かに対する畏怖は小さな自分の 自我を超えたものと接触する喜びを与えてくれる。


この気配との遭遇は東京ではとても稀だ。 全くないわけではないが、条件がかなり絞られるのだろうと思う。 東京以外だといくらでも感じることができるのに。


これは神と呼べるのかな?呼び名は何でもいいかなと思うけれど。 この感覚を始めて実感したのは覚えてないくらい幼い頃だったし、 おそらくその後成長とともに変化しているのだとは思うが、 未だに求めてしまうのはなぜなのだろうか?

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そもそも人が集まるとは何だろうか? 現場でエネルギーのうねりのようなものを感じることはよくあるし 、自分にとってそれは抗いがたい快感と言える。 芸術の有無は問わない。 その疑似体験をネットだけに求めるのは少々安易だし、 その快感を捨てるという選択肢もあるのかもしれない。
家で一人で本を読んだり音楽を聴いたりする行為は以前から当たり 前にしていた。 それは作品を媒介にして自分と向き合う行為であるし、 人と会うことと同等に価値があることだ。 どちらか一方だけだと難しいと感じるが、 現状はひたすら自分と向き合い続けるしかない。 うねりは自分の内部で完結し、 作品に自分のうねりは反映されない。 もし反映されているように感じたらそれは自分の内部がうねったの だと言える。
自分と向き合う場として作品を考えると、 実はまだまだやらなくてはいけないことは多いのではないかと思う 。というよりも、 現場で人が接触する喜びと同時にそれによってこぼれ落ちるものが あったのかもしれないし、 そこに目を向けるチャンスが今なのかもしれない。 自分の内部のうねりはヒントになりそうだ。 自分に自分以外の何かが入り込む感覚というか、 凝り固まっている自分が解けるように感じる。 なぜそのように感じるのか、その正体は何か。
結局人が集まろうが集まらないであろうが、 解けるという感覚を自分は重視している。 人の集合という豊潤は魅力的だけれど同じ地点に一人でも行くこと ができるのだろうし、そこに挑戦したいと考えている。

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そもそも公演とは何だろうか? 主催者が一方的に時間と場所を指定し、人を集める。それは一つの在り方でいいとは思うが、同時に在り方の一つでしかない。在り方が一つの選択肢しかないというのは貧しいことだったのではないかと 思う。 観客が能動的に動くことは基本的には皆無である状態はあまり健全ではなかったのかもしれない。
観客が演者に直接コンタクトを取り自分のために場を設けることがあっていいし、演者もそれを受け入れる動きが起こらないだろうか。願わくば観客と演者が共に一から場を作って欲しい。役割は異なるが関係は対等であり、そもそも人間関係とはそういうものだと思う。

休止のお知らせ

新型コロナウイルスの感染防止のため当面活動を休止いたします。

 

ライブができなくなってとても困っています。ただ、 これもいいタイミングかなと思ってこの機会に保留していた録音作 品について考えています。 聴き手が任意の時と場所で再生する録音作品が、 聴く度に不定形な現場そのものであることは可能なのでしょうか。 もちろん演奏も同様なのですがただ不定形であることに価値がある わけではなく、 いま聴いている音楽はもう二度と聴くことはできないという事実を 突き付ける現場に常に居続けたいです。 演奏では朧げながらこんな幻想を持てるのですが録音はなかなか難 しいなあと思っていました。
最近は考えが変わってきて、 そもそも生演奏の場であっても自室のPCの前であってもその時そ の場所であることは変わらず、 等しく一つの現場なのだと思えるようになってきました。 感情的には生演奏の場により価値を感じてしまうのですが、 客観的に考えると実はそこに優劣はなさそうです。
そう考えると俄然おもしろくなってきました。 演奏と録音は完全に別物ですが、 ともに音楽に近づける道の一つであるという当たり前のことを実感 できるようになった気がします。