anoxia

北鎌倉/音楽/美術 Hiroshi Kato hrsh.kato@gmail.com

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音楽は人に聴かれてしまう、繋がり合ってしまうという事実はとても重要です。願わくはそれを演奏自体で体現したい。アナログなエレクトロニクスは基本的には物単体では音が出ないので、物と物を接続することによって初めて音が出ます。これは実はとても尊いことではないでしょうか。セッティングがすでに音楽の姿を可視化しているというのは生楽器にはない要素であり、僕がエレクトロニクスのセッティングを組む理由です。もちろん、生楽器も演奏者と楽器の結びつきがありますし、結びつきも目に見えるものと見えないものが無数にあります。音楽は無数の結びつきのうえに成り立っているということにもう少し敏感になりたいです。

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なぜかというと、その地で演奏することにあまりに強烈な必然性を感じるからです。逆に言うとそれ以外の地では必然性を感じることがなかなか難しいです。愛着とも言えるのでしょうか。この必然性とは何かと考えることは、「空間」とか「環境」と一言で言えるけれどそれだけでは言い表せない何らかの存在について考えることと同義です。空間に対して、たとえば音楽家だったら、いい鳴りがするとか演奏に集中できるとか音に何かが入り込む感じがするなどといったことを思うことがあります。音に何かが入り込むような感覚は僕にとってとても重要で、結局ここ数年はそれだけに意識を向けて生きていたのかもしれません。この存在についてはよく分かりませんし、理解して把握しようとも思えません。ただ、ものすごく親しく感じています。空間って何なのでしょうね。自分がそこに立って、知覚できるものだけを空間と呼ぶのではないということは明らかですし、むしろ自分の知覚が及ばない領域の方が多いはずで、三次元ではなくさらに複数の次元で考えるのか、時間を一種の空間と考えるのか、記憶や知覚や感情を一種の空間と考えるのか、想いを一種の空間と考えるのか、などなど。こうなるとわざわざ空間という言葉を用いなくてもいいですね。この地点で生きていくことができるかどうか。