anoxia

北鎌倉/音楽/美術

2/14〜3/1 ダイアリーソング ②

言水:
「死者を思う」っていうとき、「死者」 そのものを思っているのではなくて、 その死者が生きていたときのことを思い出しているのではないか。 死者そのものを思うことができるだろうか、 死者の声を聞くことはできないだろうか。 というようなことを今日はなんとなく考えていました。
 
加藤:
死者はなかなか対象としずらいとは思います。「死者そのもの」 を具体的に認識することができないですし。
ただ、だからこそとも思います。認識することができない、 でも存在することは感覚で分かる、 ということを作品というまた別の存在によって世界に刻むことがで きるのではないだろうかという希望です。 それをやらなくちゃと感じるか感じないかの違いが人によってもち ろんありますが、 やらなくちゃと自分が感じてしまった以上やらないわけにはいきま せん。
どこまでも届かなそうな感じがしますがそれをどうしても捨てられ ない。そんな気持ちで自分はやっています。
 
言水:
もの、や、こと、でなにかできると考えたり、 あるいは知らぬ間になにかやっている、というのは、 加藤さんのおっしゃるような「希望」なんだなと、 読んで思いました。ありがとうございます。
 
加藤:
自分にとって希望はとても大きいです。「死」だったり「鎮魂」 などについて考えることは生きるうえでとてもポジティブなことだ と思っています。優しさそのものと言えるかもしれません。
死者そのものへの思いだったり死者の声を聞きたいと思うことも、 やはり優しいことなのではないかと思います。
 
福家:
私は「祈り」もそういうことなんだと思います。
そして、死者とは他人だけではなく自分でもあるから「鎮魂」 して常に正しい位置に配しておきたいなぁと思います。
 
言水:
ああ、自分も死者なんですね! 福家さんからうかがった、自分を鎮魂するということ、 瞑っていた目が開いた思いがしました。
 
(2019年12月17日のやりとり)

 

---

2月に言水ヘリオさんと福家由美子さんと私の3人で展覧会をやらせていただきます。イベントページの詳細にもありますが鎮魂はもちろんのこと、死に非常に近い内容にはなると思います。この3人(と藤崎くんの4人)は去年からより密に思考を共有しているのですが、その流れのなかでこのタイミングで展覧会があるというのはとてもしっくりきます。さらに、4人で展覧会直前に足利遠征をしようと考えていてそれも展示作品に少なからず影響を与えるのではないかと思っています。グループ展的な感じではなく、3人で1つの作品を作ります。

ここからはさらに個人的な話です。私は展覧会を行うのは初めてですが、やること自体は普段の演奏とまったく一緒です。むしろ媒介が音だけであることに少し違和感がありましたのでいい機会をいただけて嬉しいです。存在が然るべき地点にいて欲しい。または、存在の然るべき境界を明確に受けとめたい。これらは現時点の私にとっての鎮魂の行動指針です。まずはより思い遣りをもって物事に接しないといけないなと思っています。

3人それぞれこの展覧会への想いはあるはずですが、3人の核がとても似ていることをお互いに分かっているので、変な言い方ですが安心感がとてもあります。この核をさらに多くの方々と分かち合えれば。ぜひお越しください。