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上池袋anoxia

星降る音の夜

吉祥寺のliltという小さなバーで行われた津田貴司さんによる「星降る音の夜」というイベントに伺った。津田さんが選んだ音を三時間ほど流しますという趣旨だが、いわゆるDJでもなく、単なる飲み会のBGMでもない。むしろライブと言っていいものだった。

店内でお客さんは小さな声で会話をしたり、携帯を触ったり、読書をしたりしながら音を聴いていた。ほどよい緊張感がありつつもリラックスできる空間である。そんな状況下で、ある瞬間に話し声がふと途切れて全員がそれぞれのニュアンスで音に耳を傾ける時間が訪れた。音楽の現場にありがちな全員が同じ方向を向いて同じような感情を共有しようとするのではなく、それぞれバラバラな状態だった個人がバラバラなままで、それでも何らかのチャンネルが合ってしまったような感覚があった。もちろん、その瞬間に至るまでにある量の時間が必要で、徐々にチャンネルが合っていったように思う。この状態を言葉にしようとしてもなかなかうまく言えないが、人が集まる場のあり方としてかなり僕の理想に近いものだった。

この状態を生み出した要因の一つとして挙げられることは、今回のお客さんの聴く事に対する姿勢の素晴らしさだ。単なるBGMとしてではなく、まるでライブの時のように聴こえてくる音から何かを聴き取ろうとする意思をみんな持っていたように思う。音を聴くことを受身で待っているのではなく、自分から何らかの体験を得ようとする意思を持っているか否か。イベントの特性上、ずっと集中して聴取のみに意識を向け続けることは難しい。会話をしたり、考え事をしたり、仕事を進めてみたり(僕はかなり捗りました)日常行為が挿入されるが、頭の片隅で「聴くこと」がどんどん研ぎ澄まされていく。そんな個人であることによって集団であるところの場の密度も変化していく。

演奏時のスイッチを入れた状態とみみをすました状態はとても近いものだと考えている。それは演奏経験の有無によらない。どちらも掘り下げていくと同じ領域に辿り着く。つまり、ある瞬間に何かと何かが関係した(たとえば、接触すると音が出る)と知覚→認知して、さらにその認知のスピードと量が加速度的に増していく、という状態に入る。関係する物事は物質同士であるかもしれないし、より概念的なもの(思考や方法など)である可能性もある。今回の場は一瞬の中で関係しているものがとても多く、複雑なつながりがあり、どこまでも続いていけると感じられて、そこにグッときました。ピントを合わせるのではなく、鋭さとぼんやりが共存している状態から何かを認知する。そしてそれを所有するのではなく運動体として観察する。その連なりの行為をひたすら続ける。贅沢なことだと思います。ただし、今回liltで起こったことを改めて再現しよう、公演としてその状態を作り出そう考えたとしたらそれはとても難しいことだろうし、そうすることで零れ落ちてしまうものも多いでしょう。悩ましいですね。


この出来事をなんとか無理矢理作り出すという考えは横に置いといて、今回の体験は5月の「DOCOZO」から週末ごとに坂本宰さんと津田貴司さんそれぞれをお招きした「種を蒔く」に至る一連の流れの締めくくりとしてとても嬉しかったです。共有してきた感性をさらに掘り下げるうえでの大きなヒントになりました。今年の夏の宿題をいただいた気分です。おもしろいことがいろいろできそうでワクワクします。