anoxia

北鎌倉/音楽/美術

即興的瞬間について②

この位相は物理的なものではなく、概念・思想的なものを指す。たとえば、「音の速さ」という言い方を主にフリージャズ由来の演奏家が使うことがあるが、これは私も感覚として理解できる。数多の可能性を認知し、取捨選択を即時に行う。演奏しながら考えていたらもう遅く、身体の反射のようなスピードで音を繰り出す。しかし、これでは足りない。反射のようなスピードで音を出すということは判断の基準が明確になくてはできない。基準点があるということは、音をその範疇に封じ込めなくてはいけなくなる。ではどうするか?基準点自体を瞬間ごとに動かすことはできないだろうか。基準点を中心にして広がる平面を一つの位相と考えるなら、様々な位相を縦横無尽に移動することはできないだろうか。ここで言う位相が概念・思想的な位相であり、繰り返される移動を目の当たりにできる瞬間を私は「即興的瞬間」と呼びたい。

 

まるで平行世界を行き来するかのようだ。思考(脳の回転)のスピードそのものが演奏になり、その移動エネルギーを体験できるとしたら興味深い。そもそも移動にはゴールがある訳ではないので、移動自体が目的となる。そしてこれは即興音楽だけに限って発生する出来事ではない。どのような方法の音楽であっても起こりうる。ロックバンドが演奏中に「いつもと違った凄み」を纏う瞬間はしばしば訪れるが、それは想像の範疇を超えてしまった瞬間でありバンドの音楽がいつもとは違う位相に移動してしまった瞬間だ。さらに、演奏中だけでなく録音やミックス中にも起こることがあるだろう。
このように考えていくと、「即興」という言葉の意味自体が従来から変わっていくように思う。即興は方法でしかないし、従来の即興演奏の精神性はある一つの位相での出来事であり、今となってはそれ以外の位相も目測できるだろう。ただ、私は位相同士には優劣はないと考えている。好き嫌いはあるがまずは横一線なものとして捉えたい。何かを否定して前に進むということではなく、何かの判断を宙吊りにして不特定の方向を眺める。そう考えていくと、前述した音の物理的な位相(二重の意味だ)にもまたさらなる面白さや底知れなさが出てくる。

 

とりあえず以上が現時点での「即興的瞬間」という単語の僕なりの解釈でした。むしろ今まで漠然と考えてきたことを「位相」という言葉も用いてもう一度書き出したにすぎない。まだまだ漠然としている。言い足りなさもある。