anoxia

北鎌倉/音楽/美術

11/14 みみをすます

【津田貴司ワークショップ『みみをすます in 北鎌倉』】

◎秋の北鎌倉に、耳のピクニックに出かけてみませんか?
◎簡単なガイダンスの後、2時間程度ゆっくり歩きながら行います 。いつもの散歩道も、注意してみみをすますと、 驚くほど豊かな音の風景が広がります。「音を聴く」 ことから始めて、「静けさを聴く」「みみをすます」という3つの 意識状態をガイドする予定です。
◎どなたでもご参加いただけますが、野外でのワークショップです ので、各自で水筒や日除け、雨具等のご用意をお願いいたします。 スニーカーなど、歩きやすい服装でご参加ください。 (集合後すぐに移動しますので、集合時間に遅れないようご注意く ださい)

日時:2020年11月14日(土)
集合時間:11:00(13:30頃終了予定)
集合場所:JR北鎌倉駅北口
参加費:1000円
お問い合わせ先:hrsh.kato@gmail.com(加藤 )
企画:北鎌倉anoxia

f:id:anoxia2018:20201027193401j:image

11/2〜11/8 10周年記念企画展 −306−

「10周年記念企画展 −306−」
2020年 11月 2日 (月) – 11月 8日(土)  
13 : 00 – 19 : 00 (最終日 9 : 30 – 17 : 00)

中央区まるごとミュージアム参加イベント メンバー全員による大展覧会
◼︎ 参 加 ◼︎
石川信行 大西みつぐ 奥野景子 奥野亜男 押田美保 小野寺純乃 
加藤裕士 貴石堂摩耶 清武愛流 黑多弘文 今道子 斎藤もと
すがわらたかみ 髙橋淳子 高橋淳平 田口賢治 田島木綿 西田省吾 
西松典宏 野口多嘉子 野村とし子 野村秀樹 馬場薫子 比留間雅人 
福家由美子 藤井紀子 藤田浩司 藤原成章 松田ふみ子 森谷謙一郎

中央区まるごとミュージアム当日(11月8日)は、開閉室時間が異なります。ご注意下さい。

 

@銀座 奥野ビル306号室

https://room306project.tokyo

10/30 孔

小津安二郎の晩年の家に向かうと思われるトンネルを発見しました 。北鎌倉は(鎌倉市内どこもそうな気がしますが)やぐらだったり 小さいトンネルがとても多いです。風景にところどころ孔が空いて いるという印象があります。切通しもかなりヤバい。


孔の向こう側は人間社会の表層に覆われていない状態であり、 姿形のない存在が当たり前に存在していると思いたいです。 そんな孔の一つが芸術であるはずだし、 よく考えてみると孔は日常の至る所にあるのかもしれません。 それに気づくか気づかないかはその人次第な気がします。

 

『孔』

10月30日(金)

@銀座 奥野ビル306号室

(https://room306project.tokyo)

open/start  19:30/20:00

1000円

 


出演

加藤裕士

.

ある種の気配がある。 この先の領域はこれまでとは断絶されており恐怖・不安・ 得体の知れなさを感じて心許ないのだが、なぜか不快ではない。 それどころか快さまで感じてしまうし、 もう戻ってこれなくてもいいかなとまで思ってしまう。 自分には認識すら不可能な巨大な何かに対する畏怖は小さな自分の 自我を超えたものと接触する喜びを与えてくれる。


この気配との遭遇は東京ではとても稀だ。 全くないわけではないが、条件がかなり絞られるのだろうと思う。 東京以外だといくらでも感じることができるのに。


これは神と呼べるのかな?呼び名は何でもいいかなと思うけれど。 この感覚を始めて実感したのは覚えてないくらい幼い頃だったし、 おそらくその後成長とともに変化しているのだとは思うが、 未だに求めてしまうのはなぜなのだろうか?

.

そもそも人が集まるとは何だろうか? 現場でエネルギーのうねりのようなものを感じることはよくあるし 、自分にとってそれは抗いがたい快感と言える。 芸術の有無は問わない。 その疑似体験をネットだけに求めるのは少々安易だし、 その快感を捨てるという選択肢もあるのかもしれない。
家で一人で本を読んだり音楽を聴いたりする行為は以前から当たり 前にしていた。 それは作品を媒介にして自分と向き合う行為であるし、 人と会うことと同等に価値があることだ。 どちらか一方だけだと難しいと感じるが、 現状はひたすら自分と向き合い続けるしかない。 うねりは自分の内部で完結し、 作品に自分のうねりは反映されない。 もし反映されているように感じたらそれは自分の内部がうねったの だと言える。
自分と向き合う場として作品を考えると、 実はまだまだやらなくてはいけないことは多いのではないかと思う 。というよりも、 現場で人が接触する喜びと同時にそれによってこぼれ落ちるものが あったのかもしれないし、 そこに目を向けるチャンスが今なのかもしれない。 自分の内部のうねりはヒントになりそうだ。 自分に自分以外の何かが入り込む感覚というか、 凝り固まっている自分が解けるように感じる。 なぜそのように感じるのか、その正体は何か。
結局人が集まろうが集まらないであろうが、 解けるという感覚を自分は重視している。 人の集合という豊潤は魅力的だけれど同じ地点に一人でも行くこと ができるのだろうし、そこに挑戦したいと考えている。

.

そもそも公演とは何だろうか? 主催者が一方的に時間と場所を指定し、人を集める。それは一つの在り方でいいとは思うが、同時に在り方の一つでしかない。在り方が一つの選択肢しかないというのは貧しいことだったのではないかと 思う。 観客が能動的に動くことは基本的には皆無である状態はあまり健全ではなかったのかもしれない。
観客が演者に直接コンタクトを取り自分のために場を設けることがあっていいし、演者もそれを受け入れる動きが起こらないだろうか。願わくば観客と演者が共に一から場を作って欲しい。役割は異なるが関係は対等であり、そもそも人間関係とはそういうものだと思う。