anoxia

北鎌倉/音楽/美術

12/21 at Permian

12月21日(土)
@不動前 Permian
(http://www.permian.tokyo)
open/start  14:30/15:00
1000円〜2000円の任意


出演
TAGOMAGO+tamaruデュオ
加藤裕士ソロ

 

先日足利で演奏してきました。なんで足利?とよく聞かれますが、自分がやっていきたいことそのものだからとしか言いようがありません。もちろんその答えで納得する人は全然いませんがそれもしょうがないですね。自分の演奏を体験してくださった方が理由を直感でなんとなく理解できるようになったらいいですがまだそういう段階ではないのだろうなと思います。ただ、自分のなかではこれしかないという感じなので、演奏する場がPermianであってもそういうこととして演奏に臨むことになります。今年はPermianで毎月のように演奏をやらせてもらいました(ほとんどソロ)。ありがたかったです。人と一緒に演奏することを拒否してるわけではないですが、なんだかソロにものすごく意味を見出してしまいます。だからこそ合奏することにも敏感になれているようななれていないような。今回お招きしたtagomagoさんとtamaruさんはアンサンブルにすごく気を配っていると思います。調和に対する意識が多くの方が抱くそれとはちょっと異なっているかもしれませんが、「調和すること」を掘り下げて考えたらそうなるんだろうなあという感じも伝わります。願わくば、内に閉じているようにみえるソロも調和に向かうようにみえる合奏も遥か彼方で合流してほしいです。こんなつまらない二項対立なんてうやむやにしてやりましょう。うやむやにしてやりたい。個人的に、調和はこれからのテーマです。迎合・忖度ではなく、その空間の波動が淀まぬようにすることを行動の前提の一つにする。然るべき所作を理解し実行することが大事です。

11/30 痕跡と祭壇

2018年の秋口に、『上池袋anoxia』という自宅で運営しているスペースを通して知り合った方から栃木県足利市で開催されるパフォーマンス公演の情報を教えていただきました。私は栃木県佐野市に実家があり栃木県立足利高校に通っていたので、足利はとても馴染みのある土地であり、同時に「足利」と「芸術」があまり繋がらなくて驚きました。そのあといろいろ調べていき、2019年の6月に足利で開催されていた複数の展覧会を拝見しに足利を訪れました。そこで出会ったある作品に私は心の底から感動しました。

音楽とは何だろうという事を私はずっと考えているのですが、つまるところ生命への敬意や感謝であり、演奏とは祈りそのものであるとしか考えられません。音楽の周囲には膨大な余剰物が付着しており、その一つ一つを剥ぎ取っていってようやく私にも当たり前のことが実感できるようになりました。もちろんこれは音楽に限らず芸術全般に言えることだと思います。

物事はすべてが関係し合っています。無関係なことや世界から切り離されていることなどないはずだし、物質世界の範疇だけで収まることでもない。どこまでも途方も無い物事なので全体を見つめようとすることは難しいですが、「いま・ここ」という極小の一点であれば触れられるかもしれない。触れたいと願う気持ちを祈りとも呼ぶのではないでしょうか。

私にとって足利や佐野の地は、私という人間の根幹に直結しています。そこで演奏をするということ。途方もない存在と対面するということ。

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11月30日(土)
『痕跡と祭壇』
@栃木県足利市  茂右衛門蔵
open/start  13:00/13:30
入場無料


出演
加藤裕士


アクセス
東武伊勢崎線(特急りょうもう)  足利市駅より徒歩12分
JR両毛線  足利駅より徒歩14分


栃木県足利市大門通2371−1

https://www.google.com/maps/ place//data=!4m2!3m1! 1s0x601f2225e57f7eb5: 0x19dec44c34ae73e3!11m1!4b1? entry=s&sa=X&hl=ja-jp&ved= 0ahUKEwi4xubO3u3kAhXTfd4KHVkNA 8YQ4kAIUDAI

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先日のラグビー日本vsスコットランド、芸術に関心のある方はぜひ見たほうがよかったです。スポーツでしょと思うかもしれませんし、スポーツなのですが、そこには極端な状態にある人間がいました。ラグビーやサッカーといったスポーツは、勝つ、勝つために点を取る、と目的が明確で、明確すぎる目的は個人の人間性を剥ぎ取っていきます。自意識を超えたメカニズムが発生するという点で、規則と状況による行動の極度な制限や目的に対する身体と脳の調律が与えるものは大きいです。個体の人間から現象への移行が見受けられます。重要なのは、その現象が見る者の感情を大きく揺さぶるということです。人間の領域外にある現象を目の当たりにした時、見る者の脳の情報処理が追いつかなくなるのでしょうか、混乱と同時に日常生活では感じることのない感情の渦に巻き込まれます。直線のように思い込んでいた時間の流れが消失し、「いま」という点が大きくブレながらどこかへ動くだけの状態。芸術そっくりですね。そもそもスポーツや芸術はどちらも人間の営みであり突き詰めれば物質世界と区別される物事である訳で、その領域に強い想いがある方にとっては、あの存在と対面できる貴重な機会になるでしょう。ところで、芸術における目的とは?

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音楽は人に聴かれてしまう、繋がり合ってしまうという事実はとても重要です。願わくはそれを演奏自体で体現したい。アナログなエレクトロニクスは基本的には物単体では音が出ないので、物と物を接続することによって初めて音が出ます。これは実はとても尊いことではないでしょうか。セッティングがすでに音楽の姿を可視化しているというのは生楽器にはない要素であり、僕がエレクトロニクスのセッティングを組む理由です。もちろん、生楽器も演奏者と楽器の結びつきがありますし、結びつきも目に見えるものと見えないものが無数にあります。音楽は無数の結びつきのうえに成り立っているということにもう少し敏感になりたいです。

11/1 at 306

11月1日(金)

@銀座 奥野ビル306号室

(306project.web.fc2.com/index. htm)

13:00〜21:00

入場無料
 

出演

加藤裕士

 

13:00〜21:00のあいだ十数回ソロを行います。 この催しは「中央区まるごとミュージアム」 の一環として開催します。

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なぜかというと、その地で演奏することにあまりに強烈な必然性を感じるからです。逆に言うとそれ以外の地では必然性を感じることがなかなか難しいです。愛着とも言えるのでしょうか。この必然性とは何かと考えることは、「空間」とか「環境」と一言で言えるけれどそれだけでは言い表せない何らかの存在について考えることと同義です。空間に対して、たとえば音楽家だったら、いい鳴りがするとか演奏に集中できるとか音に何かが入り込む感じがするなどといったことを思うことがあります。音に何かが入り込むような感覚は僕にとってとても重要で、結局ここ数年はそれだけに意識を向けて生きていたのかもしれません。この存在についてはよく分かりませんし、理解して把握しようとも思えません。ただ、ものすごく親しく感じています。空間って何なのでしょうね。自分がそこに立って、知覚できるものだけを空間と呼ぶのではないということは明らかですし、むしろ自分の知覚が及ばない領域の方が多いはずで、三次元ではなくさらに複数の次元で考えるのか、時間を一種の空間と考えるのか、記憶や知覚や感情を一種の空間と考えるのか、想いを一種の空間と考えるのか、などなど。こうなるとわざわざ空間という言葉を用いなくてもいいですね。この地点で生きていくことができるかどうか。