anoxia

北鎌倉/音楽/美術

7/16 『種を蒔く』光と影/小熊栄

anoxia lounge種を蒔くvol.5「光と影」小熊栄

7/16(月)
open19:00- / start19:30-
1000円

ゲスト:小熊栄
ナビゲーター:田口賢治
進行:加藤裕士

「カメラマン」「フォトグラファー」「写真家」。写真を撮ることを生業とする人の呼名は様々あるが、そのどれもが違和感を感じる、と小熊栄は語る。写真=真(実)を写す?疑問を抱えて、自分の行為は「光画」なのだ、という答えに腑に落ちた、という。

写真はいつから「写真」なのか。

ガウディのサグラダ・ファミリアに魅せられ、スペインに初めて訪れたのが1999年。以来、毎年、バルセロナを拠点に各地を周る。その対象は、建築・その土地の文化・光と影。撮りに行くのではなく、地に立つこと「訪れ」。

今回の「一本の酒」は「ワイン」
マルケス・デ・リスカル ティント・レセルバ
スペインの光をふんだんに受けた、樹齢15年以上の葡萄から作られた赤ワイン。サルバドール・ダリが愛した酒、という逸話も。

小熊栄プロフィール
1959 新潟生まれ
1978 法政大学 工学部 建築学科 入学
1981 大学中退 東京写真専門学校入学
1983 (株)ササキスタジオ入社
1989 猫賀状をはじめる
1998 フリーランスとなる
同年 初めて田口賢治作品撮影
1999 初めてBarcelonaを訪れる(2018まで20年続いている)

ササキスタジオ在籍中よりアートインスターレーション、ダンス、ミュージシャンの撮影をはじめ現在に至る 。

ご予約の方優先。ご予約・お問合せは下記まで
tasukaru2@yahoo.co.jp
kenji.taguchi.works@gmail.com
hrsh.kato@gmail.com

@上池袋anoxia
https://anoxia2018.hatenablog.com
豊島区上池袋4-20-1
東武東上線「北池袋」より徒歩5分
JR埼京線板橋駅」より徒歩10分

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星降る音の夜

吉祥寺のliltという小さなバーで行われた津田貴司さんによる「星降る音の夜」というイベントに伺った。津田さんが選んだ音を三時間ほど流しますという趣旨だが、いわゆるDJでもなく、単なる飲み会のBGMでもない。むしろライブと言っていいものだった。

店内でお客さんは小さな声で会話をしたり、携帯を触ったり、読書をしたりしながら音を聴いていた。ほどよい緊張感がありつつもリラックスできる空間である。そんな状況下で、ある瞬間に話し声がふと途切れて全員がそれぞれのニュアンスで音に耳を傾ける時間が訪れた。音楽の現場にありがちな全員が同じ方向を向いて同じような感情を共有しようとするのではなく、それぞれバラバラな状態だった個人がバラバラなままで、それでも何らかのチャンネルが合ってしまったような感覚があった。もちろん、その瞬間に至るまでにある量の時間が必要で、徐々にチャンネルが合っていったように思う。この状態を言葉にしようとしてもなかなかうまく言えないが、人が集まる場のあり方としてかなり僕の理想に近いものだった。

この状態を生み出した要因の一つとして挙げられることは、今回のお客さんの聴く事に対する姿勢の素晴らしさだ。単なるBGMとしてではなく、まるでライブの時のように聴こえてくる音から何かを聴き取ろうとする意思をみんな持っていたように思う。音を聴くことを受身で待っているのではなく、自分から何らかの体験を得ようとする意思を持っているか否か。イベントの特性上、ずっと集中して聴取のみに意識を向け続けることは難しい。会話をしたり、考え事をしたり、仕事を進めてみたり(僕はかなり捗りました)日常行為が挿入されるが、頭の片隅で「聴くこと」がどんどん研ぎ澄まされていく。そんな個人であることによって集団であるところの場の密度も変化していく。

演奏時のスイッチを入れた状態とみみをすました状態はとても近いものだと考えている。それは演奏経験の有無によらない。どちらも掘り下げていくと同じ領域に辿り着く。つまり、ある瞬間に何かと何かが関係した(たとえば、接触すると音が出る)と知覚→認知して、さらにその認知のスピードと量が加速度的に増していく、という状態に入る。関係する物事は物質同士であるかもしれないし、より概念的なもの(思考や方法など)である可能性もある。今回の場は一瞬の中で関係しているものがとても多く、複雑なつながりがあり、どこまでも続いていけると感じられて、そこにグッときました。ピントを合わせるのではなく、鋭さとぼんやりが共存している状態から何かを認知する。そしてそれを所有するのではなく運動体として観察する。その連なりの行為をひたすら続ける。贅沢なことだと思います。ただし、今回liltで起こったことを改めて再現しよう、公演としてその状態を作り出そう考えたとしたらそれはとても難しいことだろうし、そうすることで零れ落ちてしまうものも多いでしょう。悩ましいですね。


この出来事をなんとか無理矢理作り出すという考えは横に置いといて、今回の体験は5月の「DOCOZO」から週末ごとに坂本宰さんと津田貴司さんそれぞれをお招きした「種を蒔く」に至る一連の流れの締めくくりとしてとても嬉しかったです。共有してきた感性をさらに掘り下げるうえでの大きなヒントになりました。今年の夏の宿題をいただいた気分です。おもしろいことがいろいろできそうでワクワクします。

7/8 anoxia meeting

7月8日(日)
『anoxia meeting』
@上池袋第一小学校
13:00〜15:00

13:00〜15:00の間、小学校を演奏するにはどうしたらいいかを考えてみて、実際に演奏もできたらいいなと思っています。

進行
加藤裕士

※集合場所は上池袋 anoxiaです。

※12:50までにお集まりください。13:00以降は加藤までお電話をお願いします。
08065306054(加藤)

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6/17 parcel

6月17日(日)
『parcel』
@上池袋 anoxia
(https://anoxia2018.hatenablog.com)
13:00〜16:00
投げ銭(お金ではなくても可能です)

13:00〜16:00の間、anoxiaを演奏します。

出演
加藤裕士

豊島区上池袋4-20-1
東武東上線北池袋駅」より 徒歩5分
JR埼京線板橋駅」より 徒歩10分

 

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告知

5月26日(土)
DOCOZO

「影絵」の手前にある影と「音楽」の手前にある音の共演。演者は何かを生み出すというよりも、空間にすでに存在する影や音に出会う旅に出る。創作または表現とは一体誰のためにあるのだろうか。人間のためなのか。影や音は単なる「素材」として人間に消費されてしまうのか。人間にとって都合のいい「ありのままの姿」に押し込められてしまうのか。今この瞬間にある影や音は人間の想像の範疇を超えた領域にあるまた別の影や音と関係し合うことができるのだとしたら、その一端にでも触れられたらとても幸せなことだ。この公演は表現の極北やハードコアとしてではなく、世界を知覚して感じ取るためのいわば基準点・スタート地点のようなものとして受け入れられるかもしれない。何かのゼロポイントになるのか。ゼロではなく人間の認識が追いつかない要素をふんだんに伴っている虚数のようなものになるのか。私たちはそれが存在する空間に立ち入ることができるのだろうか。

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6月2日(土)
SEGMENTS meeting

第3回!anoxiaでは「何かが起こるためのゼロポイントを改めて見直してみようWSシリーズ」を継続してやっているのですが(みみをすます、アレクサンダー・テクニークWSなど)、セグメンツは異質度/発想の逆転度/笑える度において特筆すべきものです。セグメンツを知らないとanoxiaがどういうものなのか理解できないかもしれません。是非とも!

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6月3日(土)
anoxia lounge 「種を蒔く」vol.3「ひとりあそび」坂本宰

トークイベントの枠を軽く超えて、得体の知れない「作品」になりつつある『種を蒔く』、今月は2回開催されます。まずは6/3。ゲストは影のパフォーマンスをする坂本宰さん。先日の『DOCOZO』でanoxiaの影と感動の対面を果たした坂本さんの極私的な時間をあえてこの場に現出させます。その時間が何か別の意味を持ち始めるのでしょうか。影についてと言うよりも、なぜ影なのか、ということに思いを馳せる人もいるかもしれません。影と本体は常に反転する。

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6月10日(日)
anoxia lounge 「種を蒔く」vol.4「きく」津田貴司

6/10は音楽家の津田貴司さんをゲストにお迎えして種を蒔きます。先日の『DOCOZO』で津田さんは物事にさらなる奥行きを与えていましたがそれは一体何だったのでしょうか?「音」と「音楽」と「人の営み」の関係が今よりもっと豊かになりそうな予感とともに、それらをよりシビアに捉え直す必要がありそうな予感もあり、かといって思考の迷路を彷徨うこともなく見晴らしのいい景色に出会えそうな予感もあります。

6/1〜6/10

6/1(金) お休み
6/2(土) 『SEGMENTS meeting』19:00〜21:00
6/3(日) 『種を蒔く』19:00〜21:30
6/4(月) ラウンジ
6/5(火) ラウンジ

6/6(水) お休み
6/7(木) ラウンジ
6/8(金) ラウンジ
6/9(土) お休み
6/10(日) 『種を蒔く』14:00〜16:30

 

豊島区上池袋4-20-1
東武東上線「北池袋」より徒歩5分
JR埼京線板橋駅」より徒歩10分

即興的瞬間について②

この位相は物理的なものではなく、概念・思想的なものを指す。たとえば、「音の速さ」という言い方を主にフリージャズ由来の演奏家が使うことがあるが、これは私も感覚として理解できる。数多の可能性を認知し、取捨選択を即時に行う。演奏しながら考えていたらもう遅く、身体の反射のようなスピードで音を繰り出す。しかし、これでは足りない。反射のようなスピードで音を出すということは判断の基準が明確になくてはできない。基準点があるということは、音をその範疇に封じ込めなくてはいけなくなる。ではどうするか?基準点自体を瞬間ごとに動かすことはできないだろうか。基準点を中心にして広がる平面を一つの位相と考えるなら、様々な位相を縦横無尽に移動することはできないだろうか。ここで言う位相が概念・思想的な位相であり、繰り返される移動を目の当たりにできる瞬間を私は「即興的瞬間」と呼びたい。

 

まるで平行世界を行き来するかのようだ。思考(脳の回転)のスピードそのものが演奏になり、その移動エネルギーを体験できるとしたら興味深い。そもそも移動にはゴールがある訳ではないので、移動自体が目的となる。そしてこれは即興音楽だけに限って発生する出来事ではない。どのような方法の音楽であっても起こりうる。ロックバンドが演奏中に「いつもと違った凄み」を纏う瞬間はしばしば訪れるが、それは想像の範疇を超えてしまった瞬間でありバンドの音楽がいつもとは違う位相に移動してしまった瞬間だ。さらに、演奏中だけでなく録音やミックス中にも起こることがあるだろう。
このように考えていくと、「即興」という言葉の意味自体が従来から変わっていくように思う。即興は方法でしかないし、従来の即興演奏の精神性はある一つの位相での出来事であり、今となってはそれ以外の位相も目測できるだろう。ただ、私は位相同士には優劣はないと考えている。好き嫌いはあるがまずは横一線なものとして捉えたい。何かを否定して前に進むということではなく、何かの判断を宙吊りにして不特定の方向を眺める。そう考えていくと、前述した音の物理的な位相(二重の意味だ)にもまたさらなる面白さや底知れなさが出てくる。

 

とりあえず以上が現時点での「即興的瞬間」という単語の僕なりの解釈でした。むしろ今まで漠然と考えてきたことを「位相」という言葉も用いてもう一度書き出したにすぎない。まだまだ漠然としている。言い足りなさもある。