anoxia

北鎌倉/音楽/美術

7/8 anoxia meeting

7月8日(日)
『anoxia meeting』
@上池袋第一小学校
13:00〜15:00

13:00〜15:00の間、小学校を演奏するにはどうしたらいいかを考えてみて、実際に演奏もできたらいいなと思っています。

進行
加藤裕士

※集合場所は上池袋 anoxiaです。

※12:50までにお集まりください。13:00以降は加藤までお電話をお願いします。
08065306054(加藤)

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告知

5月26日(土)
DOCOZO

「影絵」の手前にある影と「音楽」の手前にある音の共演。演者は何かを生み出すというよりも、空間にすでに存在する影や音に出会う旅に出る。創作または表現とは一体誰のためにあるのだろうか。人間のためなのか。影や音は単なる「素材」として人間に消費されてしまうのか。人間にとって都合のいい「ありのままの姿」に押し込められてしまうのか。今この瞬間にある影や音は人間の想像の範疇を超えた領域にあるまた別の影や音と関係し合うことができるのだとしたら、その一端にでも触れられたらとても幸せなことだ。この公演は表現の極北やハードコアとしてではなく、世界を知覚して感じ取るためのいわば基準点・スタート地点のようなものとして受け入れられるかもしれない。何かのゼロポイントになるのか。ゼロではなく人間の認識が追いつかない要素をふんだんに伴っている虚数のようなものになるのか。私たちはそれが存在する空間に立ち入ることができるのだろうか。

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6月2日(土)
SEGMENTS meeting

第3回!anoxiaでは「何かが起こるためのゼロポイントを改めて見直してみようWSシリーズ」を継続してやっているのですが(みみをすます、アレクサンダー・テクニークWSなど)、セグメンツは異質度/発想の逆転度/笑える度において特筆すべきものです。セグメンツを知らないとanoxiaがどういうものなのか理解できないかもしれません。是非とも!

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6月3日(土)
anoxia lounge 「種を蒔く」vol.3「ひとりあそび」坂本宰

トークイベントの枠を軽く超えて、得体の知れない「作品」になりつつある『種を蒔く』、今月は2回開催されます。まずは6/3。ゲストは影のパフォーマンスをする坂本宰さん。先日の『DOCOZO』でanoxiaの影と感動の対面を果たした坂本さんの極私的な時間をあえてこの場に現出させます。その時間が何か別の意味を持ち始めるのでしょうか。影についてと言うよりも、なぜ影なのか、ということに思いを馳せる人もいるかもしれません。影と本体は常に反転する。

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6月10日(日)
anoxia lounge 「種を蒔く」vol.4「きく」津田貴司

6/10は音楽家の津田貴司さんをゲストにお迎えして種を蒔きます。先日の『DOCOZO』で津田さんは物事にさらなる奥行きを与えていましたがそれは一体何だったのでしょうか?「音」と「音楽」と「人の営み」の関係が今よりもっと豊かになりそうな予感とともに、それらをよりシビアに捉え直す必要がありそうな予感もあり、かといって思考の迷路を彷徨うこともなく見晴らしのいい景色に出会えそうな予感もあります。

6/1〜6/10

6/1(金) お休み
6/2(土) 『SEGMENTS meeting』19:00〜21:00
6/3(日) 『種を蒔く』19:00〜21:30
6/4(月) ラウンジ
6/5(火) ラウンジ

6/6(水) お休み
6/7(木) ラウンジ
6/8(金) ラウンジ
6/9(土) お休み
6/10(日) 『種を蒔く』14:00〜16:30

 

豊島区上池袋4-20-1
東武東上線「北池袋」より徒歩5分
JR埼京線板橋駅」より徒歩10分

即興的瞬間について②

この位相は物理的なものではなく、概念・思想的なものを指す。たとえば、「音の速さ」という言い方を主にフリージャズ由来の演奏家が使うことがあるが、これは私も感覚として理解できる。数多の可能性を認知し、取捨選択を即時に行う。演奏しながら考えていたらもう遅く、身体の反射のようなスピードで音を繰り出す。しかし、これでは足りない。反射のようなスピードで音を出すということは判断の基準が明確になくてはできない。基準点があるということは、音をその範疇に封じ込めなくてはいけなくなる。ではどうするか?基準点自体を瞬間ごとに動かすことはできないだろうか。基準点を中心にして広がる平面を一つの位相と考えるなら、様々な位相を縦横無尽に移動することはできないだろうか。ここで言う位相が概念・思想的な位相であり、繰り返される移動を目の当たりにできる瞬間を私は「即興的瞬間」と呼びたい。

 

まるで平行世界を行き来するかのようだ。思考(脳の回転)のスピードそのものが演奏になり、その移動エネルギーを体験できるとしたら興味深い。そもそも移動にはゴールがある訳ではないので、移動自体が目的となる。そしてこれは即興音楽だけに限って発生する出来事ではない。どのような方法の音楽であっても起こりうる。ロックバンドが演奏中に「いつもと違った凄み」を纏う瞬間はしばしば訪れるが、それは想像の範疇を超えてしまった瞬間でありバンドの音楽がいつもとは違う位相に移動してしまった瞬間だ。さらに、演奏中だけでなく録音やミックス中にも起こることがあるだろう。
このように考えていくと、「即興」という言葉の意味自体が従来から変わっていくように思う。即興は方法でしかないし、従来の即興演奏の精神性はある一つの位相での出来事であり、今となってはそれ以外の位相も目測できるだろう。ただ、私は位相同士には優劣はないと考えている。好き嫌いはあるがまずは横一線なものとして捉えたい。何かを否定して前に進むということではなく、何かの判断を宙吊りにして不特定の方向を眺める。そう考えていくと、前述した音の物理的な位相(二重の意味だ)にもまたさらなる面白さや底知れなさが出てくる。

 

とりあえず以上が現時点での「即興的瞬間」という単語の僕なりの解釈でした。むしろ今まで漠然と考えてきたことを「位相」という言葉も用いてもう一度書き出したにすぎない。まだまだ漠然としている。言い足りなさもある。

即興的瞬間について

「即興的瞬間」というワードは現在の即興演奏だけでなく、音楽だけでなく、あらゆる表現を自分なりに消化するうえでとても役に立つ。そもそもこの言葉が完璧に定義づけられているかは甚だ疑わしく、むしろ一人一人が異なった考えを持っているのではないかと思うし、その運動体を緩やかに成立させるための潤滑油程度に考えてもいいのかもしれない。従って、この場での「即興的瞬間」とは加藤個人にとっての「即興的瞬間」であり、この文章が何かを総括するものではないということをご理解ください。一方で、「音響」のように意味の全体像があまりに見えにくくなりすぎて誤解発生機になってしまうのもどうかと思うので今後あえて定義づけをする必要もあるのかもしれない。ただそれは今後の話。

 

何かの表現を発表したり鑑賞したりする。ここでは即興の要素が含まれる音楽を例に考えてみよう。音楽と一言で言ってもそこには膨大な量の情報が含まれている。むしろ、音楽とは音を媒介にして常軌を逸した情報量を伝達するメディアであると考えてみると、むしろ情報の圧縮力/圧縮する方法に感心する。美しさすら感じる。よくもまあこんなにたくさんの情報や現象を詰め込んだものです。ただ、ここで誤解して欲しくないのは、情報=音数ではない。音数を極端に増やして脳をショートさせようと目論む音楽は多い。例えば大音量のノイズミュージックは分かりやすい。ノイズミュージックだけでなくロックミュージックやダンスミュージックなども情報(音)の飽和とそれにより脳の思考を飛ばすという意味で同様かもしれない。自分でも一面的だなあと思うが、つまるところ発生している出来事を思考や感情が処理できずオーバーヒートを起こしている状態が所謂「チョーヤベー」状態ではないだろか。そう考えるとその技術に長けた者が職人として、さらにチョーヤベー状態を明確な目的として作り上げることの素晴らしさも感じる。

 

話を「情報=音数ではない」というところに戻そう。例えば、サイン波をひたすらほとんど変化もなく鳴らすという演奏であってもグッとくる演奏はあるという事実が示している。微小な変化だけなのにも関わらずもしかしたらそこには膨大な情報があるというのか。僕はあると思っている。即興音楽や現代音楽は変化に乏しくつまらないと思われがちだが、それは聴き手の情報の感受の問題だ。そこにある膨大な情報に気づかないとつまらないだろうし、気づいてしまうと俄然おもしろくなってくる。手掛かりとしてまず挙げられるのは鳴っている音そのもの、音色だ。サイン波は極端だが、鳴らす楽器や機材の音自体に含まれている情報に着目する。音楽は音を曲の構造や形式に沿って配置していくが、曲の構造を取り払ってしまうと音だけが残る。ただ、それは「純粋な」音ではない。倍音の連なりや音の減衰など物理的な要因をもって、同じだと思っていた音でも時間とともにグラデーションがあることに気づくし、音に纏わる歴史や記憶、意味するであろうものを聴き取ってしまう。そうすると、わざわざ多様な音を鳴らさずとも音色の持つ複雑で豊潤な世界に没頭することができる。むしろ、そういった角度で音を聴いていると少しの変化がまるで世界の変化のように感じられる。できるだけ視点をミクロに設定することで結果的にマクロな世界に触れてしまう。このことに特に敏感な人が多いのが即興演奏を用いる音楽の現場であったと思う。メロディー、和音、リズム(ビート)を一旦放棄しようと考えた時、まず音色に注目するのは自然な流れだ。音色であるところの周波数成分、そもそもの周波数、音量といったものを操作することを自身の音楽と決めることは大いに納得できる。


しかし、割と早い段階でまた違ったフェーズに進む人も多かった。音楽、音といった物理的な位相にもちろん意識を配らせつつ、また別の位相にも気付いてしまった人である。そしてここから更に情報が拡散することになる。

6/2 SEGMENTS meeting

6月2日(土)
『SEGMENTS meeting』3rd contact
@上池袋 anoxia
19:00〜21:00
予約 1000円/当日 1500円
(準備の為、できる限りご予約をお願い致します)
※ご予約・お問い合わせ
hrsh.kato@gmail.com


講師:木下和重

「SEGMENTS」とは時間の中で起こる多様な現象をセグメントとして差異化/構造化することによって、独自の認識世界を構築するコンセプト/方法です。
http://www.cometopark.net/segments/

19:00から50分ほどの初心者の方に向けたイントロダクションの後、20:00〜21:00は実際にセグメンツを体験したりセグメンツによる曲をみんなで作ります。
セグメンツを全く知らない方でもわかりやすい内容なのでご安心を!
ご来場お待ちしております!

豊島区上池袋4-20-1
東武東上線北池袋駅」より 徒歩5分
JR埼京線板橋駅」より 徒歩10分
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