anoxia

北鎌倉/音楽/美術

6/1〜6/10

6/1(金) お休み
6/2(土) 『SEGMENTS meeting』19:00〜21:00
6/3(日) 『種を蒔く』19:00〜21:30
6/4(月) ラウンジ
6/5(火) ラウンジ

6/6(水) お休み
6/7(木) ラウンジ
6/8(金) ラウンジ
6/9(土) お休み
6/10(日) 『種を蒔く』14:00〜16:30

 

豊島区上池袋4-20-1
東武東上線「北池袋」より徒歩5分
JR埼京線板橋駅」より徒歩10分

即興的瞬間について②

この位相は物理的なものではなく、概念・思想的なものを指す。たとえば、「音の速さ」という言い方を主にフリージャズ由来の演奏家が使うことがあるが、これは私も感覚として理解できる。数多の可能性を認知し、取捨選択を即時に行う。演奏しながら考えていたらもう遅く、身体の反射のようなスピードで音を繰り出す。しかし、これでは足りない。反射のようなスピードで音を出すということは判断の基準が明確になくてはできない。基準点があるということは、音をその範疇に封じ込めなくてはいけなくなる。ではどうするか?基準点自体を瞬間ごとに動かすことはできないだろうか。基準点を中心にして広がる平面を一つの位相と考えるなら、様々な位相を縦横無尽に移動することはできないだろうか。ここで言う位相が概念・思想的な位相であり、繰り返される移動を目の当たりにできる瞬間を私は「即興的瞬間」と呼びたい。

 

まるで平行世界を行き来するかのようだ。思考(脳の回転)のスピードそのものが演奏になり、その移動エネルギーを体験できるとしたら興味深い。そもそも移動にはゴールがある訳ではないので、移動自体が目的となる。そしてこれは即興音楽だけに限って発生する出来事ではない。どのような方法の音楽であっても起こりうる。ロックバンドが演奏中に「いつもと違った凄み」を纏う瞬間はしばしば訪れるが、それは想像の範疇を超えてしまった瞬間でありバンドの音楽がいつもとは違う位相に移動してしまった瞬間だ。さらに、演奏中だけでなく録音やミックス中にも起こることがあるだろう。
このように考えていくと、「即興」という言葉の意味自体が従来から変わっていくように思う。即興は方法でしかないし、従来の即興演奏の精神性はある一つの位相での出来事であり、今となってはそれ以外の位相も目測できるだろう。ただ、私は位相同士には優劣はないと考えている。好き嫌いはあるがまずは横一線なものとして捉えたい。何かを否定して前に進むということではなく、何かの判断を宙吊りにして不特定の方向を眺める。そう考えていくと、前述した音の物理的な位相(二重の意味だ)にもまたさらなる面白さや底知れなさが出てくる。

 

とりあえず以上が現時点での「即興的瞬間」という単語の僕なりの解釈でした。むしろ今まで漠然と考えてきたことを「位相」という言葉も用いてもう一度書き出したにすぎない。まだまだ漠然としている。言い足りなさもある。

即興的瞬間について

「即興的瞬間」というワードは現在の即興演奏だけでなく、音楽だけでなく、あらゆる表現を自分なりに消化するうえでとても役に立つ。そもそもこの言葉が完璧に定義づけられているかは甚だ疑わしく、むしろ一人一人が異なった考えを持っているのではないかと思うし、その運動体を緩やかに成立させるための潤滑油程度に考えてもいいのかもしれない。従って、この場での「即興的瞬間」とは加藤個人にとっての「即興的瞬間」であり、この文章が何かを総括するものではないということをご理解ください。一方で、「音響」のように意味の全体像があまりに見えにくくなりすぎて誤解発生機になってしまうのもどうかと思うので今後あえて定義づけをする必要もあるのかもしれない。ただそれは今後の話。

 

何かの表現を発表したり鑑賞したりする。ここでは即興の要素が含まれる音楽を例に考えてみよう。音楽と一言で言ってもそこには膨大な量の情報が含まれている。むしろ、音楽とは音を媒介にして常軌を逸した情報量を伝達するメディアであると考えてみると、むしろ情報の圧縮力/圧縮する方法に感心する。美しさすら感じる。よくもまあこんなにたくさんの情報や現象を詰め込んだものです。ただ、ここで誤解して欲しくないのは、情報=音数ではない。音数を極端に増やして脳をショートさせようと目論む音楽は多い。例えば大音量のノイズミュージックは分かりやすい。ノイズミュージックだけでなくロックミュージックやダンスミュージックなども情報(音)の飽和とそれにより脳の思考を飛ばすという意味で同様かもしれない。自分でも一面的だなあと思うが、つまるところ発生している出来事を思考や感情が処理できずオーバーヒートを起こしている状態が所謂「チョーヤベー」状態ではないだろか。そう考えるとその技術に長けた者が職人として、さらにチョーヤベー状態を明確な目的として作り上げることの素晴らしさも感じる。

 

話を「情報=音数ではない」というところに戻そう。例えば、サイン波をひたすらほとんど変化もなく鳴らすという演奏であってもグッとくる演奏はあるという事実が示している。微小な変化だけなのにも関わらずもしかしたらそこには膨大な情報があるというのか。僕はあると思っている。即興音楽や現代音楽は変化に乏しくつまらないと思われがちだが、それは聴き手の情報の感受の問題だ。そこにある膨大な情報に気づかないとつまらないだろうし、気づいてしまうと俄然おもしろくなってくる。手掛かりとしてまず挙げられるのは鳴っている音そのもの、音色だ。サイン波は極端だが、鳴らす楽器や機材の音自体に含まれている情報に着目する。音楽は音を曲の構造や形式に沿って配置していくが、曲の構造を取り払ってしまうと音だけが残る。ただ、それは「純粋な」音ではない。倍音の連なりや音の減衰など物理的な要因をもって、同じだと思っていた音でも時間とともにグラデーションがあることに気づくし、音に纏わる歴史や記憶、意味するであろうものを聴き取ってしまう。そうすると、わざわざ多様な音を鳴らさずとも音色の持つ複雑で豊潤な世界に没頭することができる。むしろ、そういった角度で音を聴いていると少しの変化がまるで世界の変化のように感じられる。できるだけ視点をミクロに設定することで結果的にマクロな世界に触れてしまう。このことに特に敏感な人が多いのが即興演奏を用いる音楽の現場であったと思う。メロディー、和音、リズム(ビート)を一旦放棄しようと考えた時、まず音色に注目するのは自然な流れだ。音色であるところの周波数成分、そもそもの周波数、音量といったものを操作することを自身の音楽と決めることは大いに納得できる。


しかし、割と早い段階でまた違ったフェーズに進む人も多かった。音楽、音といった物理的な位相にもちろん意識を配らせつつ、また別の位相にも気付いてしまった人である。そしてここから更に情報が拡散することになる。

6/2 SEGMENTS meeting

6月2日(土)
『SEGMENTS meeting』3rd contact
@上池袋 anoxia
19:00〜21:00
予約 1000円/当日 1500円
(準備の為、できる限りご予約をお願い致します)
※ご予約・お問い合わせ
hrsh.kato@gmail.com


講師:木下和重

「SEGMENTS」とは時間の中で起こる多様な現象をセグメントとして差異化/構造化することによって、独自の認識世界を構築するコンセプト/方法です。
http://www.cometopark.net/segments/

19:00から50分ほどの初心者の方に向けたイントロダクションの後、20:00〜21:00は実際にセグメンツを体験したりセグメンツによる曲をみんなで作ります。
セグメンツを全く知らない方でもわかりやすい内容なのでご安心を!
ご来場お待ちしております!

豊島区上池袋4-20-1
東武東上線北池袋駅」より 徒歩5分
JR埼京線板橋駅」より 徒歩10分
https://www.google.com/maps/search/35.7404499,139.7205541/data=!4m2!2m1!4b1

 

f:id:anoxia2018:20180514163406p:image

6/10 種を蒔く/津田貴司

6/10(日)
anoxia lounge 「種を蒔く」vol.4「きく」津田貴司
@上池袋anoxia
https://anoxia2018.hatenablog.com
open14:00- start14:30-
1000円
ご予約の方優先。ご予約・お問合せは下記まで
hrsh.kato@gmail.com

 

ゲスト:津田貴司
ナビゲーター:田口賢治
進行:加藤裕士

 

今回の「一本の酒」は「泡盛」です。
麹の香り=風土のエートス、フィールドレコーディングに行った土地の風土や体験から。薫を聞く=音を聴くという「知覚」。「きく」という動詞の意味を、聴覚から切り離し、香りや気配を感知、大気の具合を察知する。嗅覚というのは、五感の中でも一番曖昧でありながら、「鼻が利く」「何か臭う」とか科学的根拠のない判断基準を決定づける、感覚の水準器。 領域と領域をまたぎ、縫う、飛び越える、「知覚」について考察します。

 

豊島区上池袋4-20-1
東武東上線「北池袋」より徒歩5分
JR埼京線板橋駅」より徒歩10分

 


津田貴司
サウンドアーティスト。ソロユニットhofliとしてフィールドレコーディングに基づいた音楽活動を展開、「stilllife」「Les Trois Poires」「星形の庭」などユニットでの演奏活動も活発に行っている。津田貴司としてサウンド・インスタレーションを発表するほか、ワークショップ「みみをすます」シリーズを継続。また音楽批評・福島恵一とともにリスニング・イベント『松籟夜話』のナビゲーターをつとめるなど、聴くことと奏でることの間を往還する活動をしている。主なCD作品は『湿度計』『雑木林と流星群』『十二ヶ月のフラジャイル』『木漏れ日の消息』など。2017年にはアルゼンチンの音楽家Federico Durandとのコラボレーション『Niebla y jardines tomados por las plantas』をSPEKKよりリリース。2017年より『木漏れ日の消息』インスタレーション版を、淡路島、東京、尾道など各地でアップデートしながら展開している。
http://hoflisound.exblog.jp

 


「十四の心に耳を傾ける」聴く
きく、門構えに耳:聞く、耳へんに「十四の心に耳を傾ける」:聴く、表外字“たずねる・問う”:訊く、のぎへんにりっとう:利く
音・声を耳で感じとる、耳に感じて、知る「雨の音を聞く」「この近くと聞いて来た」。心を落ち着け注意して耳に入れる、傾聴する「音楽を聴く」。人の言うことを理解し受け入れる、従う、ききいれる「願いを聞く」「内に入りてそそのかせど女はさらに聞かず(『源氏物語 明石』)」。たずねて答えを求める、問う「名前を訊く」「自分の胸に訊く」。においをかぐ、鑑賞、調べる「香を聞く」。 酒を味わって優劣などを判定する、利酒。釣りで当たりがあったか竿さおをあげて合わせる。
−「大辞林」より

 

f:id:anoxia2018:20180509210233p:image

6/3 種を蒔く/坂本宰

6/3(日)
anoxia lounge 「種を蒔く」vol.3「ひとりあそび」坂本宰
@上池袋anoxia
https://anoxia2018.hatenablog.com
open19:00- start19:30-
1000円
ご予約の方優先。ご予約・お問合せは下記まで
hrsh.kato@gmail.com

※場内喫煙可能です

 

ゲスト:坂本宰
ナビゲーター:田口賢治
進行:加藤裕士

 

今回の「一本の酒」は「アイリッシュコーヒー」です。

「ひとりあそび」

時折静かな場所にいると
自分の耳鳴りが気になる
自分の耳鳴りは
自分以外の誰にも届かない
誰かの耳鳴りを聞きたくても
自分には聞くことができない

目を開けていても
閉じていても
変わらないほど
光の射さない場所にいると
しだいに幾何学的な模様が浮かんでくる
自分が見ているこの幾何学模様を
誰かに見せることはできない
暗闇の中にいるはずなのに
いつまでも幾何学模様がうろついて
闇が訪れることはありません

あるとき店主がコーヒーをそっとテーブルに置いて
横目に気になりながらもばたばたと忙しく
口をつけた時にはすっかり冷めて
口に含んだ瞬間
ふわっとリキュールの良い香
あのさりげない感じ
あの味を探して遠く及ばず
・・・
  記憶の味というのはとても曖昧で
  なおかつどんどん美化して育って
  アイルランドの西の外れのカフェで
  そのアイリッシュコーヒーが忘れられず
  同じ味を探しても
・・・
全く違う場所と時間での経験の記憶に
なぜかアイリッシュコーヒーがぽつんとある
・・・
  挽いているときの音や挽きたての豆の匂い
  ひとりの時間、自分だけの記憶、耳が鳴る、幾何学模様
・・・
コーヒーを淹れること=ひとりの時間
互いの記憶がずれたまま重なって
時間を経てもなおテーブルの上に残されたコーヒーカップに
アイリッシュコーヒーを注ぐとしたらどんな味だろう

 


坂本宰
日常に垣間見る「影」の存在を日々観察し、思考と実践を繰り返す活動家。自らの身体に光を当て、シルエットを投影するパフォーマンスを1991年より開始。以降、その独自の表現行為は現在に至るまで、ほぼ変わらず一貫している。



豊島区上池袋4-20-1
東武東上線「北池袋」より徒歩5分
JR埼京線板橋駅」より徒歩10分

 

f:id:anoxia2018:20180518195616p:image